空海追体験、 高野の自然のなかへ
- 「町石道を歩こう会」(第4回)へのお誘い -
わたしたちが弘法大師空海の足跡を辿って、高野山の町石道(ちょういしみち)を歩き始めて今年で4年になります。今年も12月17日(木曜日)に、第4回目の「町石道を歩こう会」を実施します。
高野山は、空海が自分の意志にもとづき、生命あるすべてのものに対する深い慈しみの思いを込めて開いた修行の道場でした。最初は「高野山寺」と呼ばれていました。空海は高野山を「法身の里」と名づけています。大自然の生命力を象徴する法身大日如来のいます場所として選ばれたのが高野山だったのです。
高野山寺開創は、弘仁7年(816)に始まります。その年、高野(たかの)の下賜を嵯峨天皇に願い出ます。そこに「修禅の道場」を建てることが空海の願いでした。高野山には空海のその願いが今も生き続けています。その願いが生き続けている限り、高野山は永遠に「法身の里」であり続けます。
その「法身の里」に高野山寺開創の事業が始められたのは、弘仁8年のことでした。そして、さらにその翌年、空海はみずから高野山に上ります。時に、弘仁9年11月16日(旧暦)のことでした。現在の暦では、818年12月17日に当ります。今から1191年前のことです。
その日は冬至も近く、寒い日でした。空海が高野山から出した手紙には、雪が降っていた、と書かれています。どのような思いをもって空海は雪の山道をたどったのでしょう。空海がたどったその道は、やがて高野山への往来の道として定着します。そこに鎌倉時代の初めに1町(約105m)ごとに石塔が立てられました。それが現在の町石道です。町石道には空海の足跡はもちろん、空海を思う多くの人々の足跡が刻まれているのです。
この町石道を、12月17日に歩きながら、空海の高野山開創にこめられた思いを追体験する、それが「町石道を歩こう会」の趣旨です。
弘法大師空海に関心を持ち、私たちの趣旨に賛同していただける人なら、誰でも参加できます。高野山の自然に包まれて、町石道をいっしょに歩いてみませんか。そして、空海さんの息吹を身近に感じてみませんか。オプション企画や懇親会もあります。一緒に空海さんのことを思い、ともに歩き、ともに語り合いましょう。
2009年11月21日
「町石道を歩こう会」代表:竹内信夫(東京大学名誉教授)

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